2007年10月14日(聖霊降誕説第21主日)
きょうはマタイ13:47-52です。主イエスは、「天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲み入れる網のようなものである」(47節)と言われました。
この文は、次のような意味です。即ち、主イエスの弟子たちは、ガリラヤ湖の漁師があらゆる種類の魚を囲み入れる網のように、あらゆる人々に神の支配を伝道しているものである。しかし、ガリラヤ湖の漁師がとった魚の中に食べられる魚と食べられない魚があったように(48節後半)、弟子たちの伝道には、信じる人とそうではない人がいるであろう。
このことは、前段(13:36以下)にあったように、食べられる麦と食べられない毒麦があるようなものだと同じことを言っています。
しかし、前段とは、ひとつの違いがあることに注目しましょう。即ち、前段では、とくに13:30をごらん頂ければ分かるように「両方とも、収穫まで育つままにしておきなさい」とあって、即ち、よい麦も毒麦も育っている時は、収穫までは平和で穏やかな日々が続いています。
しかし、きょうの箇所は、漁師がガリラヤ湖上で、網を入れてあらゆる魚を漁をするように、弟子たちがあらゆる人々に伝道をすることは、穏やかな日々だけではではなく、危険の伴う日々もあると言っています。14:24をごらん下さい。舟でガリラヤ湖に網を入れて、岸までひっぱってくることは、それは、―――前段の「そのままにしておきなさい」とあるようには―――のどかで穏やかにことを進めていくわけにはいかないと言うことです。舟でガリラヤ湖に網を入れて岸までひっぱってくることは、又弟子たちがあらゆる人々に伝道することは逆風がある。波が起こる。妨げる力がある(14:24)と言うのです。
さて主イエスは、51節以下に、とくに次のようなことをつけ加えられています。
51節の「皆」とは、分かるにも程度があって、主イエスの言われたいことの深みまで分かっているかと言うことです。52節で普通、時の流れから言うと、「古いもの」が先にあって、次に「新しいものが」がでてくるはずです。しかし、52節では、それを逆にして、はじめに「新しいもの」が出て強調されています。即ち、52節のはじめに出ている「新しいもの」とは、前後から明らかに主イエスのみ言葉です。又は、神の支配(天国)です。「皆分かったか」とは、このことを深みまで分かったかと言うことです。
即ち、主イエスは弟子たちに、きょうの例えを用いて、あらゆる人々に伝道していく時、ちょうどガリラヤ湖の漁師たちのように、海に網を入れて岸までひっぱってくる仕事は、逆風や波にもまれることにもなろうと言われます。心穏やかにと言うわけにはいかないことも多かろうと主イエスは言われるのです。
主イエスは、この時、弟子たちに―――そしてわたしたちにも―――「新しいもの」即ち、主イエスのみ言葉であり、又神の支配があなたがたを支えていることが深みまで分かっているか。このことを信仰をもって受け止めてほしいと言われるのです。即ち、わたしたちも―――弟子たちやガリラヤ湖の漁師のように―――心穏やかではない日があったとしても、主イエスはわたしたちを主イエスのみ言葉と神の支配によって今週も健やかに進ませて下さるのです。
「主イエスよ。
あなたのみ言葉を感謝致します。
弟子たちのように、又ガリラヤ湖の漁師のように逆風と波の中で心穏やかにはなれないものです。
あなたのみ言葉を深みまで分かって、ただあなたが救いの主であられることを覚えさせて下さい。
主イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。
アーメン。」