2006年6月11日(聖霊降臨節 第2主日)
きょうは、花の日(子どもの日)です。子どもたち上に、又当教会から遠隔地にある方々の上に主の御祝福をお祈り致します。
きょうはマタイ5:6です。ここを通して主のみ言葉を学びましょう。6節で強調されている言葉は、「義」です。これは冠詞がついていて、まさにあの義を見よう。まさにあの義を追い求めよう。まさにあの義を語ろう、と言う意味となっています。
見よう、追い求めよう、語ろうと言う、まさにあの「義」とは、旧約聖書との結びつきが深いものです。中でも「義」とは、イザヤ書40章以下の第2イザヤ書との関係から説明することができます。例えば、イザヤ書45:21には、
とありますが、ここで「義なる神」の「義」とは、神はご自身のご計画に従って、救いの最も必要としているところに、神ご自身が救いの出来事を果して下さるということです。きょうのマタイ5:6と関連して、イザヤ書41:17-18をごらん下さい。
ここで神は、水がなくその舌がかわいて焼けている時も、彼らに答える神。捨てることのない神。又、裸の山に川を開き谷の中に泉をいだし、・・・かわいた地を水の源とする神と言われています。このことが「義」ということです。
さらに「義」について考えていくと、新約聖書のローマ書3:21-28には「神の義」について記され、「神の義」とは、神の栄光を受けられなくなっている罪の状態にある人間を、その悔い改めと主イエス・キリストを信じる信仰によって、神がご自身の栄光にあずからせて下さることだと記されています。
わたしたちが住んでいる、かつ人間のつくったどこを見ても、決して明るい希望のもてるところはありません。最近わたしは、桐野夏生(きりのなつお)という作家(1999年「柔らかな頬」で直木賞受賞)がある雑誌に、自分の今までの来し方と今からの行く末を書いた文章に心打たれました。桐野さんは、自分の今までの来し方についてこう書いています。自分の母は一緒に住もうとかねがね言っていたが、自分の小説も売れるようになって、いざ母の家を改築して、工事もほぼ終わり、自分たちの荷物を運び込もうとしていた矢先、母は74歳で天に召された。母が亡くなる前日、母に「一緒に暮らしたかった」と言われた。―――「今なら、母と一緒の家に住め、一緒に旅行に行けるのに。いつまでも悔いが消えることはありません。」
そして最近のことだが、自分は20歳台からぜんそく持ちで、母の家を片づけていたらホコリを吸ってしまって、ひどい発作に見舞われて救急車で病院に運ばれる破目になった。そして、「死というものは、もっと先にあるような気がしていたのですが、実は私のすぐ隣で口を開けているという現実を今度のことではっきりと感じました。」と桐野さんは言っています。
さらに桐野さんは、自分の今からの行く末のことも文章にしています。即ち、50歳台半ばになってくると、誰かが病気になったり、心身の不調を訴えたりと、自分にも自分の家族にも、周囲にも大きな変化が訪れてくるだろう。子どももまもなく家を出ていくだろう。夫も4〜5年もすれば退職して自分と一緒にずっと家にいることになろう。こうした中で仕事を続けていくことはきついこととなろう。しかし、大きな変化や自分の死にかけたことに臆病になり、不安におののいていても仕方がない。この職場につけたと言う喜びとともにいくつになっても常に全力で先に行かなければと、自分の気持ちを調整していると桐野さんは、これからのことを見直しながら書いています。
そして、実にわたしたちも―――桐野さんと同じように―――悔いのみ残ること。死なんてずっと先のことだと思っていたことが自分の隣に口を開いていたこと。自分にも、家族にも、周囲にも大きな変化が訪れてくることを経験致します。
しかし、きょうのみ言葉は、まさにあの義に向って(原文では方向を示す言葉になっている)いこう。まさにあの義を追い求めよう。まさにあの義のことを語ろうとなっています。即ち、わたしたちは、今までの生き方に悔いることも多く、これからの生き方にも大きな変化が訪れてきて、おののきと不安いっぱいになりがちなわたしたちに、又人間のつくるところに、希望らしきものがない中に、神は、水がなく、その舌がかわいて焼けている時も答えて下さるのです。又神は、裸の山に川を開き、谷の中に泉をいだし、荒野を地とし、かわいた地を水の源として下さるのです。これが、きょうの「義」と言うことであり、この義に即ち、今週も神の栄光ある救いの出来事に目を向けていきたいのです。この義を追い求め、語って、又感謝していきましょう。
「主よ、義なる神よ。
わたしたちは悔いの多いものです。臆病にもなります。
これからのことで不安にもなります。
人間のつくるところに希望らしきものはありません。
主よ、あなたは、水がなく、その舌がかわいている時、答えて下さり、
裸の山に川を開き、谷の中に泉をいだし、
かわいた地を水の源として下さる義なる神であられます。
義であられるあなたに目を向けさせて下さい。
あなたの義と救いを追い求めるものにして下さい。
主イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。
アーメン。」