2006年5月7日(復活節 第4主日)


マタイ福音書 4章17〜25節




『主に従う』



  このさわやかな良き日を感謝です。主の御祝福がありますように。

  きょうはマタイ4:17-25を通して主のみ言葉を学びましょう。17節は、主イエスが教えをべはじめるとあります。宣べ(はじめ)るとは、常に神の国の福音を宣べ伝えると言うことです。マタイ24:14や26:13では、神の国の福音は、全世界のどこにでも宣べ伝えられるとあります。そこで主イエスが宣べ伝えられる神の国の福音とは、根本的には全世界の誰にとっても聞きのがすことのできないものだと言うことです。即ちわたしたちひとりひとりにとっても、主イエスの宣べ伝えられる福音は、聞きませんでしたとか聞き逃しましたとか言うことのできないものです。

  さて18節以下に進みますと、まずシモン・ペテロとアンデレが次にヤコブとヨハネとが主イエスに従ったことが記されています。さらに23節以下には当時のパレスチナ一帯から大勢の群集が主イエスに従ったことが記されています。

  このようにして18節以下には主イエスの宣べ伝えられる神の国の福音を聞いて従った人々のことが記されています。このような経過の中で特に注意したいことは、19節の「イエスは彼らに言われる」と言う現在形です。(原本によると)この「イエスは・・・言われる」と言う現在形であることが特に重要です。即ちかつてのシモン・ペテロを初めとする主イエスの弟子たちやパレスチナ一帯の人々ばかりでなく、今わたしたちひとりひとりへの呼びかけが「イエスは・・・言われる」の現在形の意味内容です。

  即ち主イエスは、神が打ち立てて下さった神の国の福音と救いにわたしたちひとりひとりをあずからせるために、わたしたちをも今召し出し呼びかけておられる。又18節以下で主イエスは、かつての弟子ばかりでなく今わたしたちに「わたしに従いなさい」と呼びかけておられる。

  ドイツのボンヘッファー牧師は、『主に従う』と言う本で有名な人です。又彼は、ドイツが第2次世界大戦の最中暗雲垂れ込めていた時、主のみ言葉を持って平和への戦いを敢行した人です。強制収容所の中にいたボンフェッファーの有名な言葉が、今も残されています。即ち「わたしは、ここでも絶望しない」と。

  そして今わたしたちひとりひとりにも主イエスは、神の国の福音を聞き逃してはならないものとして又「わたしに従いなさい」と呼びかけておられるのです。

  わたしたちにも暗雲が垂れ込める時があります。いつ明るい思いで生きられる時が来るのだろうかと思うこともあります。このようなわたしたちひとりひとりに主イエスは、神がなして下さる救いと「わたしに従いなさい」と言うみ言葉をもってお招きになっているのです。(21節)

  21節の主イエスが「お招きになる」とは正しくは、名前でひとりひとりを呼ぶと言う意味です。又このこともかつての出来事ではなく現在の出来事として理解されています。

  イザヤ書40:21、45:3、4には、「わたしは(神は)、あなたの(バビロン捕囚の中にいたイスラエルの)名を呼んだ」とあります。神は、主イエスを通して今わたしたちひとりひとりの名前を呼び、神のなして下さる救いと福音を聞き逃さないために「わたしに従いなさい」と呼びかけ、救いへ又望みへと招いていて下さるのです。


お祈りを併せましょう。


   「主よ。神よ。

    あなたのあずからせて下さる救いの福音を聞き逃すことがありませんように。

    主イエスと主イエスの宣べ伝えられる福音に従うことができますように。

    あなたはわたしたちひとりひとりの名前を呼んで望みと救いにお招きになっています。

    望みを小さくすることがありませんように。

    今わたしたちがなすべきことを確かになすことができますように。

主イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。

アーメン。」