2005年12月11日(降誕前第2主日)
クリスマスと新年を迎えようとするこの季節を、主が祝福して下さいますように。このホームページを読んで下さる方々の上に主の祝福を祈ります。
きょうはエペソ5:25-27です。ここは(22節から)当時も今も結婚式の時に読まれるものです。結婚式は、最近式を挙げる人が少なくなっているとのことですが、結婚式や結婚は人生の輝かしい時です。若い人たちには、良いパートナーを見つけてほしいと心から願っています。
さて、人生において結婚式や結婚は輝かしい時ですが、そのことよりきょうの箇所はもっと強調されていることがあります。
それは端的に言うと主キリストと教会との関係です。このことは、25節では
と言われています。この25節とほぼ同じ内容の5:2と比べると違いがあることに気づきます。即ち5:2では代名詞を用いて「キリストがあなたがたを愛して」となっているのに対し、きょうの5:25では「キリストが教会を」に変化しています。この変化は、重要な変化です。
「教会」とは、エペソ書全体では「わたしたち」と言い換えられています。ですからきょうの25節は、「キリストがわたしたちを愛して」と言うことと同じです。
さらにこの「キリストが教会を愛して」の「愛する」と言う動詞に注目してみます。するとこの動詞は、過去一回の出来事を表す不定過去形と言う時制でありながら内容的には、過去一回の出来事がそこで終わってしまったと言うのではなく、今も、教会又わたしたちは、その出来事(25節では、キリストがご自身をささげられた十字架を指す)の救いの下にあると言うことです。即ち25節の「愛する」は、文法で言うとその動作が始まったことを表すもので(ingressiv=超動相)、主キリストの十字架の救いの下に、又その愛と祝福の下に教会又わたしたちは生きることが始まっていると言うことです。
先週のある新聞に、相談が掲載されていました。「自分は、やっと好きな図書館の仕事を与えられた。しかし、月〜金曜日まで朝から晩まで働いて手取り10万円とはあまりに悲しくて好きな仕事ではあるがやめようかと思っているがどうしたらいいでしょうか。」というもの。働いている人々が正当な報いを得る世の中になって欲しいし、そうつくり変えていきたいが、いまの日本は、中々そうはいかない面があるようです。
さてきょうのみ言葉に注目すると25節では主キリストは、報いが少なかったり困ってしまうこともあるわたしたちを愛して、主の十字架より始まる救いの出来事と祝福の下に置いて下さると言うことが強調されます。
そしてきょうは夫たる者(25節)妻たる者(22節)と呼びかけられる結婚に関する記事があるが、結婚も主キリストが始めて下さった祝福と救いの下に理解し合って生きていくことだとされます。男であれ女であれ理解し合えない人々がいます。しかし今、わたしたちが、生きてくことは、主キリストが教会を又わたしたちを愛して下さり救って下さること即ち主キリストがわたしたちを救って下さることが始まっていること、このことを見上げて夫も妻も理解を深めて進んで行け―――これが25節です。
26節は、原文は「教会を」が一番初めに出てきます。即ち花婿に例えられる主キリストは花嫁に例えられる「教会を」又わたしたちを美しく飾り迎えて下さり、救いをもって導いて下さる救いの主なのです。このことが主キリストにより、その十字架により始まっている。主キリストより始まるこの救いをわたしたちは見上げていこう。これがきようの5:25-27で言いたいことです。
「主キリストの神よ。
わたしたちは小さく、整わない者です。いろいろ困ることに出くわすこともあります。
しかし、あなたが主キリストによって始めて下さった救いと祝福と愛の下に豊かな歩みをたどらせて下さい。
主イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。
アーメン。」