2005年10月16日(聖霊降臨節第23主日)

エペソ人への手紙 5章6〜8節



『主の光の中へ』



  秋の実りの時を感謝します。今週も、わたしたちに実りをもたらして下さる主に感謝して進んでいきましょう。

  今日は、エペソ書5:6-8です。この箇所は、3節以下とつながっており、悪徳表の一部です。

  さて、6節の悪徳表の一部である悪徳は、エペソ教会の外部からもたらされたものか、内部からもたらされたものかと言うのが問いの第一です。

  ユダヤ人は、自らを清い律法を与えられた民と考え、ユダヤ人以外を異邦人と呼んできました。悪徳もユダヤ人によれば主としてユダヤ人以外の異邦人によってもたらされるものとしていました。このような考え方からすると、第3節以下の悪徳(今日の第6節の「不誠実な言葉」も含めて)は、ユダヤ人の外部からもたらされるものでした。

  しかし、第3節以下の悪徳は、教会の外から持ち込まれるとばかりは限りません。教会内部においても陥りやすいものです。教会にあるものとして、自らも戒めながら今日のみ言葉に注目しましよう。

  8節は、構文上、「以前はやみ」と「今は光」とが鋭く対立した文となっていて、前者と後者のあいだに「しかし」と言う強調、逆接の接続詞があって、後者を前面に打ち出す形となっています。即ち、8節で前面に打ち出された「今は光」とは、前とのつながりでは、イコール4:30です。4:30は、端的に言えば、今働きたもう神の聖霊を重んじよとなっています。又、8節は、イコール5:2です。5:2は、端的に主イエス・キリストの十字架、即ち、神の側から神と人間との隔ての中垣を除いて下さった救いの出来事に目をとめよとなっています。

  このことを、8節では「今あなたがたは主にあって光である」と言っています。「あなたがたは光である」とは言わないで、「あなたがたは主にあって光である」とは、あなたがた自身が光(=救いをつくるもの)ではなく、今光を受ける者(神の救いを受ける者)と言うことです。このことを、8節は、強調しています。

  わたしたちの周りで最近、脳梗塞になる人が増えています。名前の知られている人では三遊亭円楽さんが先週脳梗塞で言葉が出づらく、歩きにくくなったと言うことが報道されていました。西城秀樹さんや坂上二郎さんなどもそうだと言います。

  わたしたちも心身ともに健やかに生きることは、やみの力に妨げられるようにして難しいものです。しかも、今の日本は必要以上にお金にこだわり、お金儲けが成功者とトップニュース扱いされるような世界です。

  今日のみ言葉の強調点であります「今、あなたがたは主にあって光である」即ち、主イエス・キリストから、或いは神から光(=救い)を受けているものとして、今働きたもう神からの光と救いに生かされ健やかに生きていくものでありたいと願うものです。


お祈りを併せましょう。

   「主イエス・キリストよ。又、主をおつかわし下さった神よ。

   わたしたちは、教会に集いつつ、自らをも戒め、今の日本人の価値観に惑わされることなく、ただ、あなたの側からもたらして下さった今働いて下さるあなたの贈りものである主イエス・キリストの十字架の救いと光に目をとめさせて下さい。

   あなたが今週も健やかに歩ませて下さることに感謝します。

主イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。

アーメン。」