2005年8月14日(聖霊降臨節第14主日)
今年は戦後60年目の終戦記念日を迎え犠牲になった全ての人々を記念し、平和への道を求め祈りたいと願います。
きょうはエペソ書4:14-16です。14節は、13節と対照的になっています。即ち13節の「全き人」に対して14節では「こども」と出てきます。14節の「こども」のたとえで言いたいことは、「だまし惑わす策略により人々の悪巧みによって起る様々な教えの風に吹き回されたり、もてあそばれる」ことです。
さて14節の「風に吹き回される」とは、旧約聖書以来、未熟、愚かさ、展開がないこと、不安定、混沌の意味で用いられてきました。ですから、14節もエペソの教会が人々の手によってあおり立てられ誤った教えに迷い込んでいることを示しています。
現在でも誤った教えに陥っていくことは、しばしばあります。例えば虹を7色でもないのに(虹は連帯した帯・・・福岡しんいち)、境界を設けて7つに分けてみたり、人を物扱いしている社会なのに、豊かな自由社会だと思い込んだりしているのが実態です。即ち真実でないことを、みんながそう言ってるので、自分までもそう思ってしまうのが現状です。
さて14節ではあまりあてにならないことや、信用を置くことのできないことに惑わされるなと言うことが趣旨です。
15節では「あらゆる点において」と「成長し」の間に「この方へ」が強調され、「かしらなるキリストと言うこの方へ」となっています。つまり、万物のかしらであるキリストと言う方へと生きることの中に一番の基礎と根本的信用を置けと言われています。
16節では、文頭に「キリストを基として」と強調され、原文ではキリストを出発点とせよとあります。
最近「いきいき」と言う月刊誌で女優の有馬稲子さんが書いておられることに、感銘を受けました。有馬さんは4才の時、父の姉(韓国の釜山)に預けられました。その後一時、実際の父母のところに帰ってきたが、父は短気で、母は弟妹6人の面倒が忙しく自分にはあまりかまってくれなっかった。そこで「ママ」と呼んでいた釜山の叔母のところへ帰って行ったと言います。この「ママ」が、日本舞踊を教えながら自分をほとんど育ててくれたと言います。日本の敗戦で、釜山から引き揚げてくる時は、とても小さな漁船で「ママ」と二人で魚くさい船底にへばりつくようにして帰ってきたと言います。その後宝塚に入り押しも押されぬトップスターになりました。とてもいい人と巡り会えたが、2度の離婚を経たとも言われています。有馬さんの文も写真も品があってすばらしいものです。
わたしが、有馬さんのこの文を読んで思うことは、事実は小説よりも奇なりと申しますが、実に人の一生とはあんなことがあったよね、こんなこともあったよねと言う起伏に富んだものだと言うことです。即ち波乱万丈です。
そしてわたしども自身も、波乱万状とも言える起伏の多い所を生きています。その中で、かしらであられる主キリストこそ基であり、根本的基礎としてわたしたちを吹き回される迷いの風からさまして健やかに成長させ、立ち上がらせて下さる主だと言うのが、きょうのみ言葉です。
「わたしたちの基でありかしらであられる主よ。
わたしたちは理解力のないもののように、風に吹き回されて迷いの多いものです。信用の置けないものにも引きずられやすいものです。
主よあなたが確かないしずえとして又かしらとして導いて下さることにより、わたしたちの起伏に富んだ又波乱万丈の多いところをも確かに、立ち上がらせて下さい。
戦後60年を迎え、平和への道をも祝福して下さい。
主イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。
アーメン。」