2005年3月6日(復活前第三主日)
教会は、今復活祭を待つ四旬節(レント)です。悔い改めの信仰を持って進んで いきましょう。
きょうは、エペソ2:1-3です。きょうの前(1:15〜)は、「とりなしの祈り」でし た。しかし、きょうの2:1-3は、「とりなしの祈り」をわざわざ中断しています。即ちき ょうのところは、「とりなしの祈り」よりももっと大きなテーマである神のみ救いの業に ついて語られます。
2:1に人間を深くとらえているものに「罪過と罪」が上げられています。この2つ とも複数形で書かれていることに、注目しましょう。「罪過と罪」とは、人間の存在の根 底に深く食い入ってるものであり、かつ持続的なものであり、かつ神に対する人間の反逆 する心の熱心さが多方面にわたっていることを表しています。又「罪過と罪」とは2:12に あるように、人間が救いの外に置かれていることを表しています。
このことは、他人事のように言うことではなく、2:3に「わたしたちはみな」とあ るように、わたしたち自身のことでもあります。2節によれば「この世のならわしに従う 」とあります。この文は、一種の閉鎖集団を表す言葉です。即ち、本当は救いと自由に至 ってもいないのに、、至っているかのように思いみなしているのが、他人事でなくわたし たちの現実です。
このようなわたしたちではありますが、わたしたちがいま教会に生き、礼拝して いるとは、1:19-20にあるように、神と神がお送り下さったキリストの力強く働くみ力を 仰ぐと言うことです。
きょうのところに参考になるコロサイ1:13を読んでみましょう。
いま日本の政治経済の状況を見てみると、とても不均衡の世の中となり500万社も ある会社のものが、とても売りにくい状況となっています。そして次の世代には、マイナ スの遺産を残していくと考えられています。このようにわたしたちは、闇の力に支配され ています。これが、この世の法則にしばられている3節の「生まれながら」の意味です。
3節の「生まれながら」に対立するのは、5節の「恵みによる」と言うことです。 即ち、力強く働いて下さる神と主キリストのみ救いとみ恵みは、わたしたちを闇の力から 救い出して下さるのです。
きょうの2:1-3は、前後の「とりなしの祈り」を中断して、どうしてもこのことを 言いたかったのです。
「主よ。復活祭を待つわたしたちです。
わたしたちは、罪過と罪と闇の力に支配されています。
このようなわたしたちではありますが、ただあなたの力強く働いて下さるみ 救いと恵みのみ力に生かしめて下さい。
主の十字架は、あなたのみ救いのご計画を示しています。ただ主の十字架を 見上げて闇の力に打ち勝たせて下さい。
主イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。
アーメン。」