2005年2月6日(降誕節第7主日)

エペソ人への手紙 1章11〜12節



『主の栄光を仰ぐ教会』



  きょうは、エペソ書1:11〜12です。ここから、主のみ言葉を学び、幸いの週としていきましょう。

  11節は、2つの動詞が強調されています。即ち、わたしたちは「あらかじめ定められ」「神の民として選ばれている」。この2つの動詞は、たった1つの意味ではなく、多義的です。旧約聖書で「あらかじめ定められ」「神の民として選ばれている」とは、約束の土地を獲得することでした。しかし、ここでは、それだけではありません。11節で参考になるのは、コロサイ1:12です。そこには、「光のうちにある聖徒たちの特権」とあります。即ち、神はわたしたちを、闇の力から救い出し、主イエスの救いとご支配の下に移して下さったと言うことが「あらかじめ定められ」「神の民として選ばれた」と言うことです。

  又12節には、「キリストにあって望みをおいているわたしたち」とあります。ここで「望みをおいている」とは、完了形で書かれ、かつ強調の言葉となっています。即ち、わたしたちがずっと引き続きおいているあの望みと言うことです。そしてわたしたちは、他でもない、主イエス・キリストに望みをおき続けることができるものとして「あらかじめ定められ」「神の民として選ばれている」と言うことです。

  吉村昭さんの小説に「海猫」があります。仕事を退職して家での生活が中心となりました。主人公の趣味は、朝早く起きて新聞の小説を読むことです。しかし、家族からお小言をいただきます。「あなた。新聞のページをめくる音がうるさくてろくろく眠れもしないわ。」主人公は、置手紙をして東北のある漁村に行きます。「退職金から500万円ばかり下ろすことにする。お前も自由になりたいだろう。わたしもしばらく自由になりたい。わたしは大丈夫だから探さなくてもいい。」

  しばらくして家族のものは、どうやって探し出したのか、ある漁村で釣りをしている主人公の所へやって来ました。「あなた、わたしに何か不満があるの?親戚の者もみんなあなたのことを心配しているわよ。ねえ、早く家に帰ってきて。」主人公は家族のものに面と向かってではなく心の中で言います。「家族には、とりたてて不満はないがあえて言えば、思いやりにかけていることかな。」

  さて、わたしたちが生きていく家庭は、思いやりのない家庭はほとんどないでしょう。家庭には、思いやりがあるでしょう。しかし、今の世の中を生きていく時わたしたちが思いますことは、思いやりに欠けているばかりか、しなくてはいいことはなされ、しなくてはいけないことはなされていないこと、又闇の力に気付かされます。そして、わたしたちは、今の世の中は持続可能なのかと思ったりはしないでしょうか。

  わたしたちは、きょうのみ言葉よりわたしたちを、闇の力から救い、主イエスにのみ救いと望みを持ち続けるものとして「あらかじめ定め」「神の民として選んで下さった」主イエス・キリストと主を送って下さった神を見上げるのです。

  コロサイ書1:5によると

「天にたくわえられている望み」

とあります。わたしたちが持つ望みとは、人の与える望みではなく、天即ち主イエス及び主を送って下さった神にのみに根拠を持つものです。ただ主イエスと主イエスを送って下さった神を仰ぎ望み、又望み続けて闇の力を克服して、次の時代を築き上げていきましょう。


お祈りを併せましょう。

   「主イエスよ。

    わたしたちの望みは、ただあなたにあります。世を生きていく時も、ただあなたの望みと救いに生かさせ続けて下さい。

    教会では、あなたに愛され又芸術に豊かに生きられた方を、あなたのもとにお送り致しました。

    ご家族の上に、ただあなたよりの平安と御慰めがありますように。

主イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。

アーメン。」