2005年1月9日(降誕節第三主日)
新年明けましておめでとうございます。主の祝福が皆様と共にありますように。
きょうはエペソ書1:3です。3節は
と始まっています。このところは、神は、主イエス・キリストを救い主として送って下さり、主イエス・キリストにおいて救いのご計画を明確に示して下さった方と言うことです。(エペソ1:17-18をご覧下さい)
このことを、クリスマスの記事で説明してみます。神は、羊飼いたちに飼い葉桶の中の幼な子こそキリストであるとお示しになりました。羊飼いたちが、このことが分かったのは、羊飼いたちの努力や理性によるのではありませんでした。又それまでのユダヤ人の信仰に従ったからでもありませんでした。又彼らが月や太陽や星の光に照らされたからでもありませんでした。羊飼いたちが、神がお示しになった主イエス・キリストこそ救い主であることが分かったのは「上からの光」(ルカ1:78)にめぐり照らされた時のことでした。
このように神は、羊飼いたちを「上からの光」でめぐり照らして下さるように、わたしたちにも「上からの光」でめぐり照らし、主イエス・キリストこそ救い主であることを示して下さると言うのが3節の前半です。
さて、3節後半には、神はわたしたちが主イエス・キリストを信じる信仰によって祝福される方であると強調されています。即ち、わたしたちは、主イエス・キリストを信じる信仰によって神の祝福と深くつながっているものとされます。
3節の「天上で」は、神に祝福される場所の意味で用いられますが(1:20 , 2:6も同じ)、他方「天上で」は、エペソ書全体では信仰から落ちる力の働くところともされます。(3:10 , 6:12-13)即ちいくら信仰が強いものであっても、わたしたちは信仰から落ちる力に出会うことがあります。
しかし神が、主イエス・キリストにあってわたしたちを祝福して下さることによって、神は、わたしたちを選び、神の子たる身分を授け聖霊の証印をおして、この世のもろもろの試練に打ち勝つ力を授けて下さるのです。
最近、かつてよくわたしたちの教会にほとんど休まずに出席していた方からお便りをいただきました。いま自分は、男手ひとつで子供二人を育て、仕事と炊事洗濯をしながら精一杯の毎日です。しかし、神の祝福に生かされて感謝ですと言うのです。
わたしたちも、信仰者と言えども、様々な試練に出会い、又精一杯の毎日を送っているものです。しかしこうした時、こうした所をも、主イエス・キリストを救い主としてお送り下さった神は、わたしたちを祝福して下さっているのです。これが3節後半の
と言うことです。
「主イエス・キリストをお送り下さった神。
わたしたちは、様々な試練に会いますが、あなたの祝福を感謝します。
今年もただ、祝福の主を見上げてすすませて下さい。
主イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。
アーメン。」