2004年2月15日(降誕節第八主日)

ルカによる福音書 11章37〜41節



『善をなす主』



  今週も、主の祝福豊かな週でありますように、心より祈っています。

  今日の話題は、食事についてです。食事とは、普通最も楽しいことのひとつであって、楽しく食べたいものです。ところが、主イエスがパリサイ人に招かれたり、彼らと共に食事をされると、今日の箇所を含めて他の所においても(5:29以下、7:36以下、14:1以下)いつも論争物語に、発展するのでした。

  さて、パリサイ人たちが話題にしたことは、「食前に手を洗う」ということ(38節)です。これは、衛生上、汚い手でたべるのはよくないという事ではありません。パリサイ人が、食前にも(食事時においても)気をつけていたのは、どんな人であれ、律法に従ってふるまっているかどうかということでした。

  パリサイ人が、今日話題にしている「食前に手を洗う」ということは、食材とか食器とかも清い物とそうでない物があるという考え方につながるものです(マルコ7:4以下)。さらに、人間にも律法を守る清いものとそうでないものがあると、パリサイ人たちは考えていました。このように、パリサイ人に代表されるユダヤ教とは、律法が、人々の日常の細々としたことまで支配している世界でした。

  このように、パリサイ人たちが、楽しい食事の時を、論争に発展させ、律法にこだわる姿勢を、主イエスは、39節で


「あなた方の内側は貪欲と邪悪とで満ちている。」

と言われます。

  39節の「貪欲」とは、普通金銭欲のことで、人を平気でだましても、儲かればいいと言うことです。しかし、39節の「貪欲」とは、もっと広がりを持っています。人を平気で陥れる心、金銭が豊かになれば幸せが来るかのように思う心などをも意味しています。

  最近、新聞記者をやめて会社を興したある人が、次のように言っていました。「今自分は、会社を興して一定の成功を収めた。資産やお金も人並み以上に持った。だから、旅行や講演にも、飛行機は、first classを使い、新幹線では、グリーン車を利用するようになった。しかし、今、自分が飛行機や新幹線で出会う日本の金持ちたちは、他人に迷惑をかけても平気で、下品になっている。」

  もう一つ、今の日本を言いあらわした言葉があります。今日本は、マスコミや政治家たちを中心に北朝鮮を話題にしています。しかし、北朝鮮から脱北してきたある人が次のように言っています。「日本や韓国に行けばいい生活になると思ってやってきたが、びっくりしたことがある。北朝鮮なら、困った中にも助け合っていこうということがあったが、日本や韓国では自分中心主義で助け合う心が全くない。」

  さて、39節の主イエスの「あなたがたの内側」はどうなっているのかという問いは、私共ひとりひとりにも投げかけられています。「あなたがたの内側」と、39節以下で3回強調されていることで、主イエスが言われたいことは、パリサイ人のように「貪欲や邪悪」や、律法にこだわる心ばかりではないのです。また現代の他人に迷惑を掛けても平気な心ばかりではなく、私共の内側をも造って下さった神のみ前に、悔い改める心をもっているかということです。

  私共は、今年度の当教会標語(ローマ書 8:28)にあったように、神の平安と命へと、また神の善き救いの計画を仰ぐものとして召し出されているものです。私共は、今、心を一新して神のみ前に悔い改め、食事も他の歩みも喜びへと招いて下さる主イエスが、今週も私共を祝福して下さることを仰いでいきましょう。

お祈りを併せましょう。

  「今週も召し出して下さる主イエスよ。

  私共の内側において、悔い改める心に生かさせて下さい。あなたは、私共の内側を造り、み言葉を与え、祝福と平安に満たして下さいます。私共は、困難も多いですが、私共を今週も造り導いて下さるあなたとあなたのみ言葉を仰がせて下さい。

主イエス・キリストのみ名によってお祈り致します。

アーメン。」