2003年7月27日(聖霊降臨節第八主日)
今週から八月に入ります。八月に進むひとりひとりの上に、主の幸いをお祈りしま す。
きょうはルカ10:17-20です。ここは主イエスにつかわされた72人が戻ってきた場面 です。17節によると、彼らは、主イエスのみ名によって、悪霊の力に打ち勝つ業をし ました。当時、悪霊の力によって、病や災が引き起こされると考えられていたので、 72人は人々の病をいやし、災から救う業を行ったと言えましょう。このことを72人は 、主イエスに喜びながら戻ってきて報告しました。
この時主イエスは、18節で彼らに『わたしは、サタンが電光のように天から落ちる のを見た』と言われました。この意味は、サタンは、天においてはその支配権を失っ ているのであって、決して地上でその支配権を失っているのではないということです 。ルカ4:13には、悪魔は、主イエスにあらゆる試みをして一時離れたとあり、悪霊の 力はいつでも、特に人のつくる世界には入りこんでくる可能性をもったものとされて います。
主イエスは、19節でさらに続けて、72人に『へびやさそり』を踏みつける権威を授 けたと言われます。『へびやさそり』とは、旧約聖書の詩篇91:13 に出てきていて、 人間に災や害毒をもたらすものとされています。19節で人間に災や害毒をもたらすと される『へびやさそり』も、悪霊の力と同じく、人間世界から遠い宇宙のかなたのこ とではなく、もっと人間世界に身近なものとされています。
72人がつかわされていくところとは、身近に悪霊の力が働き、病や災があり、『へ びやさそり』がもたらすとされる害毒を受ける可能性のある所でした。しかも、72人 は、 4節で食糧の袋も持たず素足で行くことを求められ、安全である可能性より身近 かに害毒や災を受ける可能性が大きかったと言えましょう。
しかし主イエスは、19節でそのような72人に害毒や災を受ける可能性のあるところ を踏み越えていく力を授けたと言われます。19節の後半はそういう理由で、『だから あなたがたに害を及ぼす者は全く無いであろう。』と主イエスはみ言葉を続けられま す。『だから以下』のこの文は、少しややこしいことを言うと、三重否定の文となっ ていて、害を受けることはほとんど全くと言っていいほどあり得ない、というとても 強調されている文です。
72人がほとんど全く害を受けることはあり得ない、その理由は、19節ばかりか前に 戻って17節に、より確かにしるされています。17節で戻ってきた72人が、口にした言 葉の中で、まずつかわして下さったイエスのことを「主よ」と言っています。ある方 によると、人生には身に付けておくべき「11の袋」と「5 つのマメ」があると言いま す。「11の袋」とは、「胃袋」、つまり食べたり飲んだりする生活では、健康管理は 大切にしようということでしょう。次に「お袋」。これは「お袋さん」に象徴される 家庭を大切にしようということでしょう。さらに「給料袋」。昔から日本人は恒産な くば恒心なしと言ってきたように、経済基盤も大切です。「 5つのマメ」とは、「足 マメ」。弁護士の中坊公平さんは、現場に自分の足を運べば何かヒントがあると言わ れます。足マメであることは大切です。次に「筆マメ」「世話マメ」これらも大切で しょう。
しかし、私達は生きていく時、磐石だと思っていた基盤も揺らぐことを経験します 。17節の『主よ』という言葉は、主イエスはこうした中に生きていくこともある私達 の主であり、救いの導き手なのです。17節でさらに注目したいのは、72人は主イエス によって、今までつかわされて今戻ってきていうであろう報告の言葉は、「主よ、あ なたの名によっていたします、と悪霊までが服従しました」とか「何と、主よ悪霊ま でが服従したのですよ」とか、いままでの (72人の) 活動は過去形で表すはずです。 ところが17節では『いま悪霊までが服従します。』とわざわざ現在形が用いられてい ます。つまり主イエスがみ力をもって働いて下さるのは、何よりいま現在のことだと いうことがここから分かります。これは、9 節の『神の国はあなたがたのところにい まきている。』という神の国の現在性と対応しています。
さて、きょう出てきた「悪霊の力」とか「へびやさそり」がもたらす害や災は、何 も昔のことばかりとは限りません。現代を一つの函 (はこ) に例えますと、この函 ( はこ) の中では、災や害をもたらすことが、たくさん生産されています。例えば、あ る人によると、長崎や渋谷の事件を見ても分かるように、テレビゲームなどが、殺人 とか暴力とかのゲームになりすぎていて、ここから少なからず影響を受けている青少 年たちがいるといいます。テレビゲームが全部悪いわけではないし、又だれもが殺人 や暴力を引き起こすわけではないが、しかし、必ず一定の確率で起こってくる基盤と 理由が現代という函 (はこ) の中に、又、そこで生産されることの中にあるのは事実 です。
現代という函 (はこ) の中にある教会も、現代の函 (はこ) の力の影響を受けます 。そのひとつは、教会も企業のようになって、数が多ければいいという価値(量) 増 大(企業にとってはもうけの増大、教会にとっては会員数の増大) の道をつっ走って いくことです。そこに無理と痛みが生じてきます。
いまこそ私達は、現代の函 (はこ)の中で生産される災や害毒や病の道をこえて、 いま私達を救って下さる主イエスの道に目をとめましょう。
20節の『しかし』は、主イエスが重要なことを言われるので、あなたがたは目をと めて欲しいということです。
--『しかし、霊があながたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天に しるされていることを喜びなさい。』 (ルカ10:20)
『あなたがたの名が天にしるされている。』とは、神によって私達の命が救われ、 天にそのことがしるされているということです。そして、神は主イエスを通して、何 より、今、わたしたちに全てのよきもの、救い、生きていく力、あらゆる恵みを下さ っているのです。
詩篇91:9-11 を読んでお祈りを致しましょう。
--『あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、災 (わざわい) はあ なたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。これは主があなたのために 天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。』 (詩篇91:9-11)
「主イエスよ。あなたはいま、救いのみ力を下さっています。今週も現代という災と 害することの起こりやすい道にうち勝つ力を与え、あなたのみ救いをもって導いてく ださい。ただあなただけから、全てのよきものを頂いて、今週も喜びつつ足取りさわ やかに進ませてください。み救いとよきものをもって導いて下さる主イエス・キリス トによって感謝し、お祈りします。」
アーメン。