2003年7月13日(聖霊降臨節第六主日)
今週も主の祝福をもっていきましょう。長崎の事件や政治家の発言等は、いまの私 共の社会を反映している出来事でしょう。深く自らを顧みつつ、豊かなあり方を求め て行きたいと願うものです。
きょうは、ルカ10:8-12 です。ここは、前から続いている、主イエスが72人をつか わされる物語です。前半の10:8-9は、72人が主よりつかわされて、歓迎される場合の ことです。後半の10:10-12は、72人が歓迎されない場合のことです。後者は、さらに 来週まで続いていますので、来週扱うことにして、きょうは前半の10:8-9を中心に学 びましょう。
72人は、主イエスにつかわされて、10:4で何ももっていくなと言われました。そこ でほとんど何もない72人は、人々が歓迎してくれた場合、『前に出されたものを食べ る』ことになりました。この、10:8の『前に出されたものを食べる』と、10:7の『家 の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。』と、同じ文のようでありながら、全 く内容が違っています。10:7は72人を歓迎してくれる場合があることに重点があり、 10:8はユダヤにあった食物の掟(613のコーシェル) にしばられないで、出されたもの は何でも食べよ、と言うことです。
ユダヤでは、レビ記などにあるように、反芻 (はんすう)するもの (牛など)は食 べていいが、反芻しないもの (豚など) は食べてはいけなかったのです。カニなどの 甲殻類も、ユダヤ人の掟では食べられませんでした。日本人は、トンカツのことを「 勝つ」などと縁起をかついだりしますが、私はとりたてて縁起をかつぐわけではない が、トンカツは大好物です。主イエスもマルコ7:18以下で、どんな食べ物でも清いと され、つまり、食べ物は貴重かつ良いものとされました。
さて、72人が主イエスにつかわされていく所はきょうの所ではさしあたっては、パ レスチナのユダヤでしょう。そしてそもそも十二弟子とは別に立てられた72人は、パ ウロと同じように、パレスチナのユダヤをこえて、主イエスの救いを伝えるものでし た。即ち、10:8は、72人がさしあたって行く、ここパレスチナのユダヤでも、やがて 72人がパレスチナのユダヤをこえて行くところでも、食物規定をはじめとするユダヤ の掟 (律法) は、だれにとっても重要さをもっていないと言うことです。
きょうの所で、特に主イエスが、72人に、いつでも、どこでも、誰にでも、最もこ のことは忘れず宣べ伝えよと言われたのは、10:9です。
--『そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』 と言いなさい。』 (ルカ10:9)
ここで、特に注意したいことばは、第一は『あなたがたに』と言うことばです。10 :11 にも同じような文が出ていますが、10:11 には、このことば (『あなたがたに』 ) はありません。原文では、「あなたがたの上に」とあり、つまり、「あなたがたの 所」となっています。
また、10:9で第二に注意したいことは、『神の国は近づいた』の『近づく』とは、 原文では完了形であります。神の国は、電車などが近づいてはいるが、いま接近中で 、ここにはまだ来ていない、ということではなく、神の国は、いますでにここに来て いるということです。
主イエスは、ルカ11:20 では、「神の国はすでにあなたがたのところにきた。」と 言われました。これと同じことが、ヨハネ黙示録3:20では、「主イエスは、 (いま) 戸を叩いておられる」とあります。
神の国が、ほかでもなく、あなたがたの上に、いま、既に、来ているというのは、 食物規定をはじめとするユダヤの掟などと違って,いつでも、どこでも、誰にでも、 あてはまることです。
私たちは、72人が遠くまで出かけていったように、仕事をしていく時、大きな波を 越えていかねばなりません。その世界では、理解してくれる人は少ないのです。しか も、私たちの生きている『現代』の掟は、強いのです。しかし、波をこえて行く、私 たちの上にも、『神の国』は、いま、すでに来ているのです。
10:11 の『しかし、神の国が近づいたことは、承知しているがよい』の「しかし」 は、ふつうの「しかし」とは違うことばが、原文では用いられています。原文では、 「絶対に、このことばは、忘れてほしくない。」という強意のことばです。絶対にこ のことは忘れてほしくない事、そして、いつでも、どこにでも、だれにでもあてはま る事、すなわち、『神の国』が、いま既に、『現代』という波をこえていく私たち、 ひとりひとりの上に来ていることを、今週も生活の中心にしていきましょう。
主イエスは、私たち、ひとりひとりの戸を叩き、大きな祝福をもって導いて下さる のです。
お祈りを併せましょう。
「主イエスよ。今週も、波高く、掟 (おきて) の強い時代を生きていきます。戸を叩 いておられるあなたの祝福に目をとめさせて下さい。すでにいま、神の国と救いとは 来ています。このことを今週も大切にし、いまの社会を作っている自らを深く顧みつ つ、感謝をもって、いずこもよき時、主の祝福される所となるようにさせて下さい。
主イエス・キリストによって祈り願います。」
アーメン。