2003年4月13日(復活前第一主日)

ピリピ書4章4-9節


「講師:J.サック牧師」


『ともに喜ぼう』

  人が生きていく中で、「喜ぶ」「楽しむ」「うれしがる」という感情があります。   これは、クリスチャンの根本生活でもあると、思います。でも、大人は、感情を上手く表現できなっかたりします。   ところが、子供は、正直に自分を表現します。長男は今大学3年生ですが、小さい頃、お風呂の中で遊ぶことが好きでした。   長時間入って、手がしわしわになるほどでした。彼にとってはお風呂は楽しい場だったのだと思います。

  「少女パレアナ」という話があります。そこで少女はお父さんに、「お母さんが天国に行った後、なんでも喜ぶゲームをしようと、   聖書の中で、『喜ぶ』の言葉を調べたら、800回もあったわ。」と言っています。   この様に、聖書の中に「喜べ」、「楽しめ」、という言葉が多いことからも、神様は私たちが喜ぶことを望んでおられるのです。   どんなことにも喜びや、よかったことを探そうとすることは大切です。喜びをみつけることは、生きていることが楽しくなります。   しかし問題にぶつかると、そこには、修正することが出てきます。でもそれは、恵みをいただくチャンスでもあるのです。

  人生の中の楽しいとか、愉快、悲しいということには意義があります。喜びにも深い意味があります。   喜びは、happyより深いものです。聖書の中の喜びをみてみましょう。

  「あなたは、いのちの道をわたしに示される。

   あなたの前には、満ちあふれる喜びがあり、

    あなたの右には、とこしえに、もろもろの楽しみがある。」

    詩篇 16:11

  「あなたが、わたしの心にお与えになった喜びは穀物と、

   ぶどう酒の豊かな時の喜びにまさるものでした。」

    詩篇 4:7

  ところが、私たちは、喜びを隠してしまいがちです。私たちは、喜びや悲しみを表わしてよいのです。   神様は天地を創造し、人に命を与えられました。そして人を、エデンの園に置かれました。エデンの園の意味は何でしょうか。   それは喜びの庭です。神様は人をまず喜びの庭に置かれたのでした。

  さて、今日の箇所の、ピリピ4章4節―5節。

    「主にあっていつも喜びなさい。・・・・・

      あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。」

 と、あります。人間関係はお互いに影響し合うものです。モビールの様に、人間関係はひとりが動くと他も動くものです。   また、同じことにも様々な思いがあるものです。たとえば、同じものに対しても、その人の見る視点によって、   思いは異なるものです。お互いを通じ合うコミュニケーションにも3つの部分があります。

@ 言葉A 声の調子B 非言語的 言語

私たちは意外と@よりも、AやBのことに影響されて、コミュニケーションをしているものです。   また、ある事柄に出くわした時に、相手をせめるようなメッセージを送るのと、私の心の痛みのメッセージを送るのでは、   相手への伝わり方が変わってきます。

  ピリピ4章6節

「何事も思い煩ってはならない。」

今日一日を始めるにあたって、@ 問題がたくさんあると思うのか、A 贈りものとして、喜びを数えて生きるのとでは、   違いが生じます。えてして、心配の8割は実際は起こらないことで占めています。

  現在に生きる人間は、今与えられている現在に生きることが必要です。そこで、どんなに悲しい痛みがあっても、   私たちには、十字架の主がいて下さるので、希望があります。主を見上げ、主に感謝して歩んで行きましょう。

  「わたしがきたのは、羊に命を得させ、

     豊かに得させるためである。」

       ヨハネ 10:10

お祈りを致しましょう。

    「主よ。今週もどんな時も十字架の主を見上げ、

       喜びを見い出しつつ、歩めますように。主の平安を祈ります。」

アーメン。