2002年12月22日(降誕前第一主日)
クリスマスおめでとうございます。ルカ1:26-38 によって、生きる糧を得ましょ う。
1:26-27 は、導入部分です。ここで、強調されていることは御使いガブリエルが 、おとめマリアの所に来たと言うことです。原文では、26-27 節に『おとめ』という ことばが二回出てきて、このことばが強調されています。
--『六か月目に、御使いガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤ の一おとめのもとにきた。このおとめはダビデ家の出であるヨセフという人のいいな づけになっていて、名をマリアといった。』 (ルカ1:26-27)
ユダヤで、神からの御使いがやってくる所とは、王とか選ばれた祭司や預言者の 所でした。ふつう、ただの「おとめ」の所に御使いがやってくることは考えることが できませんでした。
ですから、おとめマリアのことを『聖母マリア』と言って礼拝の対象にまでする 必要はないにしても、ひとりのおとめマリアが、神から選ばれて、救い主の母となる ことは強調されています。つまり、おとめマリアが高く持ち上げられ、顕揚されてい ます。
この理由は、次のように考えられます。当時ユダヤでは、素晴らしいこと、よい こと、皆の救いになることをするのは、王や祭司や預言者やあるいは乙女ではなく、 男であると考えられていました。しかし、おとめマリアが、救い主の母となることは 、当時の力をもった人々から起こってきたのではありません。また、34節にマリアが 「わたしはまだ夫がありませんのに」と言っていますように、ヨセフと婚約時代のこ とで、ヨセフとの関係で起こってきたのでもありません。すなわち、おとめマリアが 、救い主の母となることは、人間とのつながりで起こってきたのではなく、ただ主で ある神が、おとめマリアを立てて、この人を選んで、この人を通して救い主を送ろう とされたことによって起こってきたことです。
このことは、はじめマリア自身にとっても理解しにくかったようです。29節をご らん下さい。
--『この言葉にマリアはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事だろうかと、 思いめぐらしていた。』 (ルカ1:29)
このようなマリアに、2 回目の御使いのことばが語りかけられます。
--『すると御使いが言った、「恐れるな、マリアよ、あなたは神から恵みをいただい ていのです。見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名 付けなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そ して、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を 支配し、その支配は限りなく続くでしょう。』 (ルカ1:30-33)
この中で、二つのことに注目しておきましょう。ひとつは、30節の『マリアよ、 あなたは神から恵みをいただいているのです。』と言う文です。この文は、丁寧に言 うと、「マリアよ、あなたは(人のところではなく)神のところで、恵みを見つけた のです」という内容の文です。
すなわち、人の考えによると、又、人に救いを与えることができる、できない、 という観点から言うと、おとめマリアのことなど取るに足らない一介の市井人、それ も小さな存在でしかないでしょう。しかし、神は、マリアが救い主の母になることば かりか、どんな時もマリアのことを忘れないでいて下さる言うことです。
もうひとつ注目したいのは、救い主、主イエスの支配と救いは、地上のどんな支 配や力をもしのぐものであり、内容的にも高く、あまねく広いものだと言うことです 。ユダヤ人ならユダヤの国を繁栄させた王としてダビデ王のことを知らない人はあり ません。『あなたの (ダビデ王の) 家と王国は、わたしの (神の)前に、長く保つで あろう。あなたの位は長く堅 (かと) うせられる。』(サムエル記下7:16)
このダビデとその王国が長く続くのに対し、マリアを通して救い主が与えられる が、この救い主の支配と救いは、『とこしえに限りなく続く』(1:33)と言われていま す。
今、言ったことを、御使いの 3回目の発言 (特に35節) でよりはっきりさせてい ます。
--『 (御使いが答えて言った、) 「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたを おおうでしょう。それゆえに、生まれ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえ られるでしょう。」』(1:35)
この発言も、神がマリアを通して救い主を送ることは、人の働きによるのではな く神の働きとご計画によるのだということです。
このようにして、神がマリアを通して、救い主を送って下さるクリスマスの出来 事は、人の考えや計画ではなく、神の働きとご計画によるということです。そして、 このクリスマスの出来事は、広くあまねくこのわたしにも関わっているものです。ま た、地上のどんな支配や力よりも、祝福に満ちたものです。マリアは神が、救い主を 送って下さることをはじめは分からなかったが、やがて受け止め、受け入れていきま した。
わたしは、この一年、下を向いてしまうことがありました。つっ伏してしまうこ ともありました。しかし、このような歩みとともにあったのは30節の『あなたは神か ら恵みをいただいているのです。』と言うことでした。人からではなく、神から、こ の私に力と救いを与えて下さっていたのです。私はこの恵みを神のところで見つけま した。
わたしは、この一年、仕事の中でずいぶん苦労しながら生きていた若者を知って います。ずいぶん頭を下に向けているような姿を見ました。あるいはわたしたちは、 しばしば、こう言うこともあるでしょう。すなわち、人に知られずして、涙が出てく ることがある。無理解に囲まれることがある。
しかし、すべてのものの主は、クリスマスの救い主を送って下さっているのです 。この救い主の救いは、あまねく広くかぎりないものなのだ。主は、わたしたちに、 いま、この救い主を見上げて、頭(こうべ)を上げよ、と言われます。おとめマリア は「はい、そうします。」と言って、救い主を見上げ、頭(こうべ)をあげたのです 。
--『そこでマリアが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成 りますように」。そして御使いは彼女から離れて行った。』 (ルカ1:38)
主は、来る年も、喜びをもって生きていくように救い主を送って下さっているの です。
--『あなたは、神から恵みをいただいているのです。』( ルカ1:30)--