2002年12月15日(降誕前第二主日)
今週も、主が祝福しておられます。来週はクリスマス礼拝です。主の導きが豊か にありますように。
きょうはルカ7:29-35 節を通して、今の時代とこの中で生きることについて考え てみましょう。7:29-30 節は, きょうのところの全体の理解を助けるために置かれて います。つまり7:29-30 節は、いまのイスラエルはこうなっていると言われています 。ひとつは、民衆は、バプテスマのヨハネの悔い改めの説教を聞き、洗礼を受けた。 しかし、もうひとつは、これとは反対に、パリサイ人や律法学者は、神からつかわさ れたヨハネの説教も洗礼も受けようとはしなかったと言うのです。
主の救いとは、全てについて言えることで、主の救いが全てに及ぶためには、社 会や自然がいまこうなっていることを知っておくことは大切でしょう。つまり無知に 居直っても事は始まらず、主の救いとは、正しい知識、即ち、いま社会と自然はこう なっていることを知り、そこを救いのある所としていくことは大切なことです。
主イエスは、当時のイスラエルのあり様を見て、 7:29-30節のようになっている といわれます。『これを聞いた民衆は皆、また取税人たちも、ヨハネのバプテスマを 受けて神の正しいことを認めた。しかし、パリサイ人と律法学者たちとは彼からバプ テスマを受けないで、自分たちに対する神のみこころを無にした。』(7:29-30)
これをさらに主イエスは、31節の二つの疑問文 (『だから今の時代の人々を何に 比べようか。彼らは何に似ているか。』(7:31)) と32節のたとえを用いて、わかりや すく、今はこうなっていると言われます。32節のたとえを読んでみましょう。『それ は、子供たちが広場にすわって、互いに呼びかけ、「わたしたちが笛を吹いたのに、 あなたたちは踊ってくれなかった。弔(とむら)いの歌を歌ったのに、泣いてくれな かった。」と言うのに似ている。』(7:32)
つまり、今の時代は、こどもたちが広場で互いに呼びかけ合って、笛を吹いても 全く答えない相手がいる、弔いの歌を歌ってもそれに答えない相手がいる、そうなっ ていると主イエスは言われます。
この32節のたとえは、きょうの所の前後関係から分かる必要があります。相手に 調子を合わせる必要はないでしょう。いつも相手に乗せられて憂き目を見ている人な らば、特にいまの人たちが言うことにはくれぐれもご注意をして下さいと言うべきで しょう。相手がかなりおかしなことを言っている時は、支配的な主流になっている考 えでも、きっぱりと断っていいはずです。
しかし、32節のたとえを用いて主イエスが、このことを断るものたちがいるとは かなり、おかしなことと言えないだろうかと、次のように言われます。
32節の前半の『わたしたちが笛を吹いたのに。』とは、結婚式の祝いのような喜 びの時がきたと言うことです。これは34節と結びついています。『また人の子がきて 、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲むもの、ま た取税人、罪人の仲間だ、と言う。』(7:34)つまり、32節前半と34節は、主イエスと ともに神の国が結婚式の祝宴のように喜びと救いとして来たと言っています。
32節後半『弔(とむら)いの歌を歌ったのに、泣いてくれなかった。』は33節と 結びついています。『(なぜなら)バプテスマのヨハネがきて、パンを食べることも ,ぶどう酒を飲むこともしないと、あなたがたは、あれは悪霊にとりつかれているの だ、と言い、』(7:33)つまり32節後半と33節はバプテスマのヨハネが、悔い改めの説 教と洗礼を説いたのに、当時のイスラエルは悔い改めようともしなかったと言うので す。とくに、その指導層は、ヨハネも (イエスも) 神からつかわされたものどころか 、悪霊につかれたものとして足げりにしてしまったと言うのです。
このようなことから、主イエスが「今の時代を何と比べようか。」と言われ、二 つの疑問文を出しながら、たとえを用いてわたしたちに分かるように語られたことが はっきりしてきます。すなわち、バプテスマのヨハネは、救い主の来られる前に、神 からつかわされ、悔い改めの説教をするものであった。しかし、とくに今日強調され ていることは、ヨハネの悔い改めのことよりも、主イエスにおいて、ヨハネが指し示 していた神の国の喜びと救いの時がきたことです。マルコ福音書2:19には、『いまは 花婿(主イエス)が来ている時』とあります。しかし、いまのイスラエルは、ヨハネ も、そして、主イエスのもたらして下さっている喜びと救いの時も受け入れようとは していないのです。つまり、30節には、いまの時代は「 (自分たちに対する) 神のみ こころを無にした。」と言うのです。
今言いましたことを、ことばを変えていいますと、主イエスとともに神の国の祝 いと喜びと救いの時がこのわたしたちの上にもたらされているということです。ここ に目を注げ、と言うことです。
今週も、主のもたらして下さっている喜びと救いに生かされていく。しかも、こ れは、わたしたちの全生活を導くものです。主イエスの生きた時代と同じく、わたし たちの『今の時代』もこうなっているでしょう。すなわち、仕事も人間関係も難しい ものです。しかし、『今の時代』はそうなっているかもしれないが、頭をかかえるこ ともあるが、主イエスのもたらして下さっている喜びと救いに生きていきましょう。
主は、今週も、さあ行くのだと言って、喜びと救いへと進ませて下さっているの です。シメオンはルカ2:30で、
と言いました。
わたしたちも主を仰ぎつつ、生きていきましょう。