2002年11月24日(降誕前第五主日)

ルカ7章11-17節

『必ず、顧みられる主』

  今年もあますところ、一ケ月となりました。来週からは待降節になり、キャンド ルが灯されます。クリスマスの時、そして次の年も、主に祝福されていきましょう。

  さて今日出てきます女の運命は一種独特のものでした。「やもめ」ですから、夫 に先立たれ、いま、ひとりの息子に先立たれる。このことは、将来の自分を養ってく れるものを失うと言うことでもありました。当時このような場合、ユダヤでは、泣き 女と言う制度がありました。しかし、ここでは、人々は、泣き女のように、ただ儀礼 的にこの女のことを悲しんではいません。人々は、自分たちにはどうすることもでき ないが、この女につき添うことはできると思って、深く頭を垂れる思いで、駆け寄っ てきたのです。

  主イエスは、この女のことを人づてに聞かれたのでしょう。主イエス、この女を 見て、この女のいまある運命に深く同情を寄せられました。ですから、主イエスが, この女に「泣かないでいなさい。」(ルカ7:13)とことばをかけられたのは、また、 救いの業をなされたのは、ことのほか、いつも以上の力がこもっていたと言うことが できます。

  さて、ここで、この女の場合は、ただ、この女ひとりの特殊な場合としてとり上 げられてはいません。つまり、多くの人々が、儀礼的でなく駆け寄り、主イエスも深 く同情の思いを禁じられなかったのは、ひとりの人間とその運命を思った場合に、そ こにはひとりの人間の場合でも深く助けを必要としていることがあるのです。

  14節後半の主のことば(「若者よ,さあ、起きなさい。」)では、原文にはわざ わざ「若者よ、あなたに言う。さあ、起きなさい。」(新共同訳・ドイツ語訳参照) となっています。このことばは、ここに出てくる登場人物ばかりか、現代に生きてい るあなたがた自身にもよく聞いてほしいという意味が込められているのです。

  いまの若者たちの場合を考えてみても、少しのミスでも人後に落ちるのではない か、という不安と緊張の中に送り出されているとはいえないでしょうか。働いている お父さん、お母さん方の場合、会社との契約がうち切られないで、次の年も更新され る、そのことに一家の生計がかかっています。ですから、全神経を集中するようにし て、誤りなきよう、身心また頭脳を研ぎ澄ましておかなければなりません。主イエス は弟子たちに「時にはゆっくり休め。」(マルコ6:31)とされましたが一年中も緊張 の連続ですと、だれしも神経はとがってきて、必要以上に人や家族につらくあたった しまうことも起こってきます。

  きょうの主のみことばは、ただこの女の運命だけに、あてはまるばかりではなく 、わたしたちひとりひとりの場合にもあてはまるものとされています。すなわち、深 く迷うことも多いわたしたちがすすむ道にも、主イエスは「あなたに言う。」と言わ れ、深い同情をこめて、力と温かい言葉をこめて「さあ、あなたも立ち上がっていく のだ。」と送り出されているのです。

  ここで主イエスは、ご自分を通して神の顧みを、この女の場合、このひとり息子 の場合、そしてわたしたちの場合にもあらわして下さっています。『神はその民を顧 みて下さった。」(16節)このことばは、ルカ1:68-69 にも出てきて、家のドアをノ ックするように、神が主イエスという救い主を通して、ここに訪ねてきて下さってい るということです。

  主イエスは、のちにルカ24章で、エマオ途上にあった弟子たちの場合にも、こと ばをかけ、聖書を説き明かされました。主イエスは、わたしたちにも温かいことばを かけ、聖書のみことばを通して、いま、ここに訪ねてきて下さっているのです。

   −−「若者よ、あなたに言う。さあ、起きなさい。」(ルカ7:14)−−

       −−「恐れるな、小さな群れよ。」(ルカ12:32)−−

  今週も、主の顧みが、あなたの上にあるように、心から祈っています。